たまにはイベント感想。
あとこのイベントで流れた『ウィッシュエンジェル』のPVに感動したので…



とにかく広橋涼さんに好き放題やってもらおうという企画。
途中で予想通り「カン・ドンウォン講座」みたいなコーナーがありつつも
なかなかに豪華な内容でした。

どこまでがシークレットゲストだったか忘れたけど
某アイドル声優さんが来たり(予想通り)
久川綾さんからビデオレターがあったり
大原さやかさんが最後の1時間くらいでサプライズで登場したり
『たまゆら』イベント直後のサトジュン監督&儀武ゆう子さんと電話で繋がったり
最近の声優界のビッグな結婚のニュースを知らなかった広橋さんが素でびっくりしたり(笑)。

終始広橋ワールド全開で、発想の柔軟さや突飛さに感動するばかり。
まず「ドレスコードはメガネ」ってどういうことだってばよ。
なんでも、「好きな人のメガネになって、その人がラーメンを食べてメガネがくもった時に拭いてもらいたい」願望があるんだそうです。
……ドレスコード関係ないじゃん!


それはさておき、やっぱり大原さんがゲストにいらっしゃったのが嬉しかったです。
大原さん登場時に「Golden Phoenix ~何度でも~」が流れてテンションMAX。
「すごラジ」はすごいでっかい素敵なラジオだったんですよ。
この二人が出演されるイベント、これまでなかなか行けなかったのよね…
いつも通りの雰囲気に感動しつつも安心。
いろんな意味で定評あるさぁやによるケーキ入刀も見れて、満足です。
強いて言うなら「あなたには失望したわ」って罵っておしぼり投げつけて欲s(ry


で、最後に流れた『ウィッシュエンジェル』のPV。
「メインヒロインのCVだけ決まっています」ということで流し始める池P。
動画は大人の事情で流せないので1枚絵と音楽とナレーションだけだったんだけど、
ナレーション第一声から誰がどう聞いても広橋涼
「カレイドスターのPVです」と言われても信じるレベルです。
音楽と主人公の女の子の前向きな言葉のひとつひとつと広橋さんの声にうっかり泣きそうに(笑)。
カレイドの時って確かまだデビュー間もない時だったから、
きっと聞き比べれば今と声もお芝居も全然違うんだと思いますが、
まっすぐな女の子を演じる時の広橋さんの澄んだ声ってどうしてこんなに心に響くんでしょう…
公式HPで吉田玲子さんによる外伝小説連載中ですが、
本編もまたガールミーツガールものになるなら絶対好きだわあ~


そんなこんなで、とても素敵なイベントでした。
広橋さんが最後にしきりに「こんな私のために…」とお礼を言ってらっしゃいましたが、
きっと会場の皆さんには期待以上のカオスなイベントだったはず!
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BQMAPの公演「大図~月から江戸まで八百歩」を観ました。

初めての劇団さんだったのでやや緊張しましたが、
とにかく気持ち良く面白かった!
役者の皆さん本当に素敵でした。
(花魁チームの衣装セクシー!)
一度観に行きたいと思っていたので行けて良かったです。

最近お芝居なんてご無沙汰だったので、
「いいな~楽しそうだな~」と劇団経験もないのに思ってしまった。
そういえば昔、舞台美術をやりたい願望があった事を思い出しましたよ。
お金と時間さえあればどこかの小劇団に突撃しかける勢いでああいう事がやりたくなった。
大学時代に、やろうと思えば出来たんだろうけど違う事に没頭してたなあ。

そんなわけで、また予定が合えば観に行きたいです。
フィネガンズウェイクのライブも!

大昔に読んだ児童書なんですが、先日図書館で借りてきて読みました。

タイトルも著者も思い出せなくて、もう記憶を頼りになんとか検索して発掘しました。
こうやって昔なんとなく読んだだけの本と再び出会えるんだからインターネットってすごいなと改めて。

で、その本に再会して初めて
講談社刊、著者: 斉藤洋、絵:宇野亜喜良
というものすごく手堅い本であった事を知りました。

正直、当時この本を何気なく小学校の図書室で手に取った自分はセンスあるな、と思ってしまいました(笑)。
小学生にとってすごくキャッチーとは思えない宇野さんの絵が表紙で、
タイトル文字もシンプルに新聞特太明朝で置かれているだけという。
(それにしてもやっぱり宇野亜喜良さんの絵は当然ながら上手すぎる)

作品自体はとても幻想的で、
斉藤洋さんの中ではあまりない?とてもメッセージ性の強い作品です。
たぶん、子供には最後の方は意味が分からないのでは、と思いますが…
(だから私も最後の結末だけをまったく覚えていなかった)

以下引用

 大きな歴史の流れも、一人一人の人間が集まってつくっている。とるにたりないような偶然、ひとりひとりのちょっとした考えかたや行動の変化だけでも、歴史の流れは変わる。 
 未来は変わるのだ。悪い未来なら変えなくてはいけない。時間は同じ流れをとるとはかぎらない。ひょっとすると、正はこのまま成長しても、あの光景のなかでのようにリニアモーターカーの設計はしないかもしれない。もっとほかの仕事につくかもしれない。
 いま、正は考えている。たった一人、アゲハが閃光の中で消えた日から帰ってきた人間として、いったいなにができるだろうかと。



子供に戻って、この頃の自分がこの文章を自分なりにどう理解していたのか、知りたい…!


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とっくに記事は出来てたのに上げるのを忘れてました。
宇宙ショーの特典のコメンタリーは、
限定版のみベサメムーチョとスタッフのコメンタリーがそれぞれ収録されています。
通常版にも収録されている監督+キャストのコメンタリーは、
子供の視点で映画を観る事ができて新しい発見がたくさんありました。
自分ではまだまだ子供の心を持っていると思い込んでいたのですが(笑)、
キャストの子達の素直な感想を聞いていると
「そんなところを見るのか!」と驚きの連続で。
スタッフコメンタリーは、なかなかに豪華な布陣で、貴重な裏話、こぼれ話が聞けて面白かったです。
というかこれが本来あるべきコメンタリーだよな、と(笑)。
ただ、ゲストが入れ替わりだったりして、メモを取りながら聞いても後でどのシーンの事なのか分からない部分もあったので
とりあえずベサメムーチョ(落越P、倉田さん、舛成監督の3人)のコメンタリーだけさらっとまとめておきます。
というかベサメムーチョのコメンタリーはちょっとはよそ行きにするのかと思いきや、
本当にいつも通りのノリだったので安心しました。
同時に、だから限定版のみに収録なのかと納得。
以下簡易まとめ。
[ 続きを読む ]

OVAの感想を書こうと思ったのですが、
書いている途中でTVアニメ化決定のニュースが飛び込んできたので
とりあえず中断。

前回の記事の続きと言いますか、
監督の講義を聞いての雑感をちょろっと書いておきます。
そもそも講義自体だいぶ前のことで、
この記事も前に途中まで書いて放置してたのですが…
後半は講義とほぼ無関係です。

佐藤監督はとにかくまず「ユーザー視点」でものを作る人だと言うのが第一の印象。
意外とここまで徹底しているアニメ監督さんって少ないんじゃないかなと思う。
「もし何の制限も無く好きなものを作れるとしたらどんな作品を作りたいですか?」
という質問に対して、目的やユーザーが明確に設定されている方がむしろ作りやすい、と答えていました。
(それでも、どちらかと言えば劇場版より作ってからすぐに視聴者の反応が返ってくるTVの方が良いとか、もし作るとすると『ストレンジドーン』のような作品かもという事は言ってました、確か)

佐藤監督の作品って「社会現象になる」とか「突発的・爆発的に売れる」というよりは、
「美少女戦士セーラームーン」「おジャ魔女どれみ」「ケロロ軍曹」など
作品がシリーズとして長く続く、という売れ方が多い。
だから監督としての「作家性」というのは普通に見ていても良い意味でほとんど感じられず、
佐藤監督のすごさってなかなか言語化できないものではないかと思う。

講義の中でも、自身の作品の導入部分を系統立てて見せてくださり、
複数の作品でほぼ同じ手法を使っている事に驚かされました。
(例えば第1話の冒頭に「夢オチ」を持ってくるとか)スタンダードな表現を抵抗なく取り入れて、それでいて駄作にならない、「面白い」ものが生まれてくるという。



監督の、アニメ業界そのものに対するお話も興味深かった。
「顧客ありき」になりすぎてアニメ業界がどんどんコアなユーザー向けになりつつあるのも事実だという話。
極端な例えを出すなら、例えばエロ描写を求めて買う固定層がいるから自然にそういう作品が増えてくる、とか。
それはいたしかたない事ではあるけれども、これを全面的に肯定してしまうとアニメーション自体の可能性を狭めてしまう。
あるひとつの方向に濃くすればするほど離れる人もいる。
今は1万本売れればヒットだが、
10年前くらいではOVAなど2万本いけばまあまあと言ってもらえ、
3万本でヒット、4万を目指してほしいという世界だった。
どうにかして打開できないかとみんな試行錯誤しているものの、
方法が見つかっていないというのが現状だと監督はおっしゃっていました。

もちろん社会全体を取り巻く状況そのものも直接的な要因のひとつ。
でも結局「アニメファン」の分母が減っているんですよね。
00年代以降のアニメって、5万売れようと10万売れようとそのコアなアニメユーザーの分母の中での売り上げであって、
「アニメファン」の拡張には繋がっていないのかもしれない。
アニメ同士で「分子」の取り合いをしているだけで。

ある作品に対して「批判したり文句を言うなら見なければいいのに」という人がいるかもしれませんが、
好き嫌いで判別することと、応援することは別なのかもしれません。
確かにアニメが「商品」でしかないなら、気に入らないなら切る、それで良いんだろうけど。
自分にとっては応援したいと思う事と、作品の評価は別にあるかもしれない。
評価出来ないと思っている部分に目を瞑って全てを賞賛するのが「ファン」なら、
やっぱりどんどん狭まっていくだけで。
もちろん極端な「アンチ」はその作品が好きな人にとっては見るのが苦しい部分はありますけど。

これまでは「売れなかったけど、作って良かった作品だね」が通用したけど、
これからは最低限利益を上げるという事がアニメを作る上で、生き残るためには大前提になってくる。
作り手が、「良い作品を作る」事だけに専念するのではなく、それがどうすればたくさんの人に見てもらえるかまで考えなければならない。

自分も畑は違えど、もの作りに携わり、アニメーション以上に「不況」と言われる業界にいるのでいろいろと考えさせられます。
というか私はアニメ業界の現場・現状をこの目で見ているわけではないので
半分はアニメ業界ではなく自分が仕事をしている上で感じている事になってきていますが…。
長い目で間口を広げる体力が無いから、とにかく確実に最低限売れる物を量産する。
その体力すら無い会社はつぶれていく。

うーん、重くなってきたので投げっぱなしで終了。
私も世間からは「オタク向け」で片付けられそうなアニメを買い漁ってる人間だと思うので
別に何かを批判したいわけではないのです。

※TVアニメ化決定を知る前に書いた記事です。


「○○スタッフが贈る」という謳い文句で売る作品はあまり良い印象を持てないのですが、
1巻発売のちょっと前に監督のお話を聞いていたら、さとじゅん作品ファンなら見ておくべきだろうと思い直しまして。
ということで、自分の考察ではなく、監督がおっしゃっていた話のまとめです。
もちろんあくまで私の言葉でまとめているのでニュアンスの違いはあると思うし、誤解を生むかもしれませんが…。


●ARIAが何故作品として成立したのか?何故人気が出たのか?
企画当初は、大きな事件が起こらない、起承転結の「転」が無いような作品を受け入れる土壌が今ほどできていなかった。
その中で監督が『ARIA』のどこに勝算を感じたかと言うと、原作にしっかりした柱が立っているからだと言う。

1. 「主人公が一人前のウンディーネを目指している」というモチベーション・落とし所がはっきり見えている。
強いモチベーションで物語を引っ張って行くわけではないが、必ずそこ行き着くという安心感がある。

2. 「誰が誰を好き」という構造が明確で、しかもそれが蜘蛛の巣のようにあらゆる方向に張り巡らされているため、どこを取っても良い話が作れる。
「この人がここにいることの幸せ」「この人とここに来た事の幸せ」を繰り返し確認できる。

3. アクアの良い意味でリアリティーをそぎ落としたファンタジーな世界観が、現実で見たら「ありえない、きれいすぎる」と感じるところを、街含めてある種の「理想郷」を作っている。
だからARIAは、社会の汚い部分をもっと見たい中学生くらいまでは「こんなの嘘っぱちだ!」と感じてしまうかもしれない。
すでに社会にもまれてきた大人がハマりやすい。
同時に、「きれいで純粋な世界に浸れる自分」がまだいる事の確認ができる。


●「ARIA」と「たまゆら」の違い、「うみものがたり」での反省
原作とアニメがこれ以上無いくらいにきれいに同時に完結し、
天野こずえ先生が新しい作品を描き始めたということで、
こちらも新しいものにチャレンジしようということで作られた「たまゆら」。
たまゆらでは、ARIAが持っていたそのファンタジーな世界を逆にリアルに戻していった。
実際にある竹原という町を舞台に、高校生の女の子たちのあり得る夢の形、あいまいさを含めて描いた。

「ARIAからファンタジーを引いた分、何を足したのですか?」
という質問に対して、
「懐かしさ」だと答えていました。
そこに行った事がなくても感じられる竹原が持っている懐かしさ、
将来に対してふわふわゆらゆらしていたあの頃、
お父さんにおぶってもらった時に見える景色…
「懐かしさ」には色々な意味が含まれているのだと思います。

それと、お話を聞いていると「うみものがたり」での反省も生かして作られているようです。
時代と共に観客の器の形も変わって行くので、常に演出も変わっていかなければならない。
昔はテンポが良いと思った物も、今見るとだるく感じる事もある。
そういったお客さんの感覚の変化というのは、
実際にやってみて反応を聞いてからでしか分からない事。
特に分かるのが、第1話放送後に出て来る「面白くない」という評価の内容。
「うみものがたり」で監督が感じたのは、「ひねったものが受け止めてもらえない」ということだと言う。
例えば、派手なアクションシーンにピアノのメロディーを乗せたりする事がある種の定番のようにかっこいいものであると思っていたのに、うみものがたりで近い事をやったら単純に「合っていない」という印象になってしまった。
もちろんそういった演出が合う合わないは作品によるかもしれないし、肯定する人もいたが、ほとんどの人には「間違って」見えた。
またハイターゲットの作品の場合は、主人公のモチベーションを最初はぼやかすことで、逆に創造力をかき立てて牽引力になるというのが監督の体験としてはあったが、それが今回は効果を持たず「何がはじまったか分からずのめり込めない」ということになってしまった。
「ARIA」でもついてくれてきたファンだけではなく、離れていった人もたくさんいたはずだけれど、やっている最中はそれが見えない。
新しいものを作った時に一気にそのブラックボックスが開いてびっくりする。
そういうこともあって「たまゆら」では一番最初に主人公が写真が好きという事をはっきり示しているそうです。
方言に関しても、大阪弁や東北弁など許容できるものもあるが聞き慣れないものになるといきなり視聴者のハードルが上がるという経験から「たまゆら」では広島弁を喋るのが松来さんだけに。

…方言は、初見では逆に「なぜ一人だけ方言?」と思わなくもなかったです。
ちなみに「かみちゅ!」は尾道尾道と言われてますが、実は作中では具体的な地名はぼやかされています。
場所を特定しないことで方言を使わなくて済むように、という配慮らしいです。
もうちょっと最近だと「マイマイ新子と千年の魔法」ではまったく方言が気になりませんでした。
もう一人の主人公である貴伊子は東京からの転校生で標準語だったので、
むしろ新子と貴伊子が違う言葉遣いで会話をして仲良くなっていく様にほっこりさせられました。
あれは方言以外ありえないと思えます。
(でもやっぱりそのせいでハードルが上がったのは事実かもしれません)
たまゆらは、そこまで方言に強いこだわり(あえて排除する、とことんリアルに入れる、等)を見せる必要の無い作品だと思うので、広島弁の雰囲気も入れつつほとんどみんな標準語、というのが丁度良かったって事でしょうか。
作品に合っていれば何でも良いと個人的には思います。



そんなわけで具体的な感想は次の記事に続く。


追記:
私は「うみものがたり」も好きだったので「そういう見方があるのかあ~」と思って聞いてました。
記事を読み返したらちょっと「うみものがたり」を否定しているみたいになってしまったので一応書いておきます。
(あ、もちろん監督も否定的な言い回しはしてませんでした)



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この作品の存在を、つい先日知り、やっと読みました。

他の上野顕太郎作品でもたびたび登場していた奥様との死別を綴った、完全ノンフィクション作品。

普段はギャグ漫画を描いているので、
奥様が鬱であったことも、6年も前に亡くなっていたことも、
ましてこんな漫画を出していたこともまったく知らず、ただただ衝撃でした。
私自身が、どうしようもないくらいの絶望を味わった事などないからこそ、
この漫画を読めるんだろうと思う。
正直、筆者と似たような経験があったとしたら読めないかもしれない。

この漫画のすごさは、うえけん先生の作風そのままに普段とは真逆のものを描き上げているところかもしれない。
とにかく緻密な絵でナンセンスなギャグを描くというのがこの人の武器なのですが、
あの執拗なまでの「緻密さ」で、奥さんが亡くなったその一日、筆者の思い、葛藤を、
魂すべてをぶつけて描き込んでいる。
自分の体験を誰かに聞いて欲しいというエゴで描いている部分もある、と冒頭で断りを入れているほど。
そのリアリティ、生々しさが尋常じゃない。
だから「ぜひ読んでほしい!」とオススメする事はできないです。


…ちなみに普段のギャグ漫画は、まあ、普通に好きくらいだったりしますが…
パラパラ漫画をひとコマずつ(漫画と同じようなコマの配置で)紙面上に描いて、
途中にサブリミナル広告のコマを挟むっていうネタがかなり好きでした。
むかーし、ネットであれをGIFか何かでアニメーションにした人がいたんだけど、
どこで見たのかなあ。

あと、「5万人だ!」ネタも大好きです。あれこそ真骨頂ですね。


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いろいろと感想を書きたいものはあるものの、なかなか書けず。

とりあえずぱにぽに10周年!
というわけでずっと楽しみにしていた15巻初回限定のドラマCD聴きました。
改めてキャストが豪華なアニメでしたよね。
アニメ放送時はどうやってこのメンツのスケジュールを合わせていたのやら…
ネギまはとにかくそこが大変らしいですが。

脚本:高山カツヒコ
録音演出:亀山俊樹

と、コミックスの付録ですが完全にアニメの延長の本気ドラマCD。
面白かったです!

内容はC組メンバーが10周年記念パーティーに向かう途中でバスが遭難する、
といういつも通りな感じ(笑)。
ファンレターのくだりとかお約束だけど笑ってしまった。

正直な事を言うと、アニメから4、5年経っているので
(途中でOVAがあったとは言え)
役者の皆さんの声や芝居があの頃と変わっていてもしょうがないかなーと思っていたけど、
まったく杞憂でした。
変わったからって「ちっがーう!」とは絶対思わないしそれはそれで良いのですが。
特に一条さんは一条さんすぎる。

パッケージに「斎藤千和さんからのスペシャルメッセージ!!」が書かれてました。
あれは、一体…(笑)。
確かに何かメッセージは書いてありましたが、
その隣のメ…メソウサ?みたいな?よくわからない絵がすごすぎて何も言えない。
千和画伯は、絵柄が毎回違うところが逆にすごいと思います。

最後のキャストコメントで、
皆さん「何かできるといいね!」とほのめかしていたものの
何もやらないんだろうな~
実際、仮に2期やったところであの頃のファンはみんな戻ってくるのかな。
放送時の独特の熱気って、今また同じように再現するのは不可能なように思えるんですよね。
作り手も受け手も。

新房監督が以前、氷川先生との対談で「原作準拠でもやってみたい」とおっしゃってましたが、
それが私の観たい「アニメ」ぱにぽになのかというとちょっと違う気がする。
もちろん小学校編はやってほしいけど…

OVA1本でも何でも良いのでまた何か作って欲しいなー。