今更すぎるけど、もうあとはBD発売を待つだけなので自分の中で区切りをつけるために感想書きます。
ネタバレ前提ですがストーリー説明など一切ない本当にただの感想です。





正直まどかがこんな人気作品になるだなんてTV放送開始前は想像もしていませんでした。
新房監督×シャフト初のオリジナル作品と聞いて期待に胸を膨らませ、戦闘系魔法少女ものと聞いて「えっ……(シャフトのスケジュール)大丈夫?」と不安を抱き、でも「なのは」の新房監督だしやっぱり楽しみ! とそんな感じの出会いでした。
週を追うごとに物語も視聴者もすごい勢いで盛り上がりを見せ、そのピークで震災による放送休止。1ヶ月の間をあけて、ラスト3話連続放送。そして満を時しての劇場版前後編と新編。
思えば遠くへ来たもんだ…と、いちファンながら感慨深いです。

12話できれいに完結させてしまったので、続編は小さくまとまった予定調和な作品になるんじゃないかという不安がありました。
それが、TV版に見劣りしないほどの物語のボリューム感で、まさに「まどかの新作だ!」と思わせる作品で、見終わった後ずっと興奮さめやらず…。
頭の中の全部がこの作品に持っていかれるという、リアルタイムでTV放送を見ていた時とまったく同じ状態になりました。

新房監督がパンフレットのインタビューで
“「スピンオフ」や「過去の物語」は、我々とは違うつくり手が二次創作としてつくればいいんじゃないかと思うんです。『魔法少女まどか☆マギカ』はそういう隙間のある作品だし、そういう展開は大いにやってほしい。その隙間を我々が閉じる必要はないかなと思っていました。むしろ、より作品の幅を広げるためにも、我々は「続き」を普通に考えようと”
とおっしゃられていて。
ここまで人気のある作品なら、スピンオフや過去ものをやるだけでもそれなりに見てもらえるだろうし、それなりに面白いものが作られると思うんです。
それをしない心意気も素晴らしいし、続きとしてつくられた「叛逆の物語」が全然まったく守りに入っていないところもまた素晴らしい。

映像作品としても、いよいよ「まどか」というひとつの世界が完成されてきていて
視聴者を突き放した抽象的な表現も、ケレン味溢れる作画演出も、骨太なストーリーやキャラクターも、全部ごちゃ混ぜにしておとぎの国に閉じ込めたような、本当に独特の世界がつくられていて大好きです。
(実際、「叛逆」自体おとぎの国に閉じこもったような話だったわけですが)


ラストシーンの、ほむらとは対照的に平和で幸せそうなさやか、杏子、マミ、なぎさ、そして家族と笑って過ごすまどかを見ていると、本当に「善」と「悪」で割り切れるものではないと思えてきます。
答えの出ない、答えなんてない、誰かと議論をしたとしても各々の持ってる根本的な価値観を崩さない限り、お互いの意見が噛み合うことなんてない、そんなテーマを投げかけていながら、徹頭徹尾エンタメ。そういう作品を生み出したスタッフ陣は本当にすごいです。

ほむらが円環の理に導かれること(=死)が本当にハッピーエンドなのか?
公開前はそう思っていただけに、「叛逆」の結末はお見事でした。
「叛逆」でのほむらの決断の善悪について考えると、TVシリーズでのまどかの決断の善悪についても考えさせられる。
後付けの物語なのに、はじめから叛逆まで含めてひとつの作品だったんじゃないかと思うくらい。

それと同時に、何回も観て自分の心に問いかけたとき、
心のどこかで「叛逆の物語」に希望を見出そうとしてる自分がいました。
みんなで力を合わせて戦うこと、ほむらが仲間を信じて気遣うこと、みんながほむらを助けようとしたこと、まどかが絶対にほむらを見捨てたりしないと言ったこと、
その全部が、自分の中で「叛逆の物語の続き」への希望に、勝手になってしまっているんだなと。

正直、人間を超越した存在にになったまどかがそれで幸福かどうか、そもそも幸福を感じ取ることが出来るかどうかなんて、こちら(ほむらにも、視聴者にも)には分かるはずもない。
でも、そんなことよりまどかとほむらが一緒に仲良くしていてくれれば私にとってもそれが一番幸せで。
結局、まどかとほむらが2人で幸せそうに笑ってる姿が最後に見れればいい、そんな風に思っていることに気付きました。
そしてそんな風に思ってしまう時点で、目に見えるかたちでのまどかの幸福をただただ純粋に望んだほむらの行動を、私は否定することは出来ないんだなと…。

まどかは、すべての魔法少女を救済したはずが、ほむらの心だけは救うことが出来なかったっていうのは、切ないですね。
前半の「ピュエラマギホーリークインテット」は、それがほむらの本来の願望だと思うと、切なくて泣けてしょうがないです。

まあ、それでいてあまりにご都合主義な展開を「まどか」に求めてない自分もいるので、面倒くさいのですが。
魔法少女と魔女の能力を両立できるとかギリアウトなのでは…?
でも、最終的に誰一人死者を出さないどころか主人公含め3人も生き返らせてるのにご都合主義に感じさせないところは神の所業としか思えない。(虚淵さんの所業)


そしてキュゥべえ。
神がいて、悪魔がいて、魔法が使えて、そんな世界でただ一人、科学的・合理的にあろうとする宇宙人。
せっかく神様が共存という形で赦してくれたのに、欲をかいて神様を支配しようとした結果、悪魔を生み出してしまい、逆に支配されてしまった哀れな宇宙人。
感情がない生き物のはずなのに、なんとも人間らしい末路を辿っているのが面白いですね。
彼自身がエントロピーを凌駕する日も近いのでしょうか。


そんな感じで
どうも話を聞く感じ、続編制作には前向きのようなので
まどかとほむらの物語が本当の結末を迎えるのであればどこまでもついていきたいです。
ダラダラ続けられても…という気持ちももちろんあるのでこれで完結でも良いのですが。
キャラクターを一新するなら…体力的にも追うのがキツイのでファン卒業の良い機会かもしれません。


予定や仕事の隙間をぬって劇場に何度も足を運んだのは今となっては楽しい思い出です。
はまりすぎて、放置してたブログを復活させて小ネタ記事を書いたら突然たくさんの人がくるようになり、まどか人気こわい…と地味に実感しました。
でもこの記事、自分のためにつくっただけに個人的には役立ってます。
小ネタ通り越した内容になってきてますしテキストオンリーの非常に長くて見づらい記事ですが
もし私以外の人にもお役に立てていれば幸いです。
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まどほむハンコ作りました。
今回は蒼樹うめ先生の色紙絵を元に…


1年に1個、ロゴが変わるたびに作ってやっと3つ目。
大きさは50mm〜60mmくらい


ほむら単体を含めると『まどか』ハンコは4つ目。


原画



やっと自分なりの作り方の手順がかたまってきたのでメモ。
原画作成はPhotoshopとIllustratorで、
まずPhotoshop上で元の絵を線画の状態に加工。
コントラストをバキバキにあげて、残った中間調を地道に消しゴムで消したり必要な線を取捨選択したり。
瞳の部分も線画に描き直したり。
細い線はハンコで再現できないので上から描き足す。

出来た画像をIllustratorに配置して、
ドット加工をしたりカゲの付け方を微調整。
ドットの大きさは微調整必須なのでPhotoshopではなくIllustratorで付ける。
(必要な箇所に沿ってパスをきる)
ロゴと組み合わせて全体のレイアウト。
ロゴの英字、本当はもっと小さいのに小さ過ぎてハンコで再現不能だったので勝手に大きくしてしまった。

出来た原画をセブンイレブンで出力。
数年前にPDFが微妙に縮小プリントされてしまったので今回TIFFとPDFで試した結果
TIFF→縮小される、ドットが乱れる
PDF→原寸で出る


原画を作る時点で燃え尽きてるのに
スタンプ制作作業も失敗しないように神経すり減らす系なのでげっそり。
(一回失敗して作り直した)
「EZスタンプ」というキットで作っています。
私が使っているのは「EZスタンプⅡ」という一世代前のもので、すでに半分壊れているため余計に失敗しやすいです。
労力のわりに使い所もなく、何のために作ってるのか分からず魔女化しかける現象。
私たちの戦いって、これで良かったんだっけ…?

スタンプといえば
LINEのまどかスタンプもあぼしまこさんの絵が可愛いすぎて買ったけど使う相手がいないのです(アミダ目)

本当にネタ記事ですが…
気がついたところだけメモ。
セリフも適当です。
一応これも随時更新予定



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自分用まとめ(最終更新2014年10月17日)
TVシリーズ放送時に「ほむら黒猫説」とか今からすると笑っちゃうような予想がされたりしていたけれど
そういうものも当時の熱量を思い出せておもしろいなと思います。
なのでこの記事にも信憑性のないネタもたくさん含まれています。
文字のみ&無駄に縦に長い記事ですみません。

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劇場版総集編OP(ルミナス)のワンシーンで、作りました。
このためだけにKey Animation Noteを買ったわけですが…
どのカットをどなたが担当しているとか、ひとことコメントとか、
いろいろとスタッフの皆さんの熱が伝わってきて、ものすごーく見応えがありました。

写真 2013-05-26 23 22 15

原画
写真 2013-05-26 23 22 21

このカット、短い時間の中でふたりの表情がいきいきと変化しているため
どれにしようか散々悩みました。
やはり、アニメーションで見るあの状態が至高で
静止画として切り取ってしまうと良さが半減してしまいますね…
かなり苦労して作ったものの前回のまどほむハンコより微妙な完成度。

毎度のことですが、
色の濃淡を黒ベタとドットの大小で表現しているため
そのバランスの試行錯誤に時間がかかっている気がします。
ドットが細かすぎるとハンコにする時に再現しにくいし
かといってまどかみたいにシンプルでわりと平坦なキャラクターデザインだと
ある程度ドットでカゲを付けたりしないと未完成に見えてしまうというところで。

今回の反省を次回につなげたい…ところですが
私がいま使用しているスタンプ制作キットがもう廃盤で、
制作時に必要なネガフィルムが手に入らないらしい。

一応、7月に出るまどかの劇場版ガイドブックの表紙が
TV版のガイドブックと対になる絵(背中合わせの女神まどかとリボほむ)のようなので
それを元にまた作ろうかなとは思っています。

グッドスマイルカフェの「まどか☆マギカカフェ」に行ってきました。
以下に写真大量に載せておきます。
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感想というより放送が無事終わって感慨深いので信者のきもちわるい思い出話と愛情告白です。





正直、ここまでハマるとはまったく予想していませんでした。
一番最初のCMで新房監督×シャフトの初オリジナル作品と聞いて、
見る事は決定してたんですが。
きっと攻め攻めの、突き抜けた作品が出て来るんだろうなという程度の期待感で。

その後スタッフやらキャラクターやらが順に発表されて、
正直「魔法少女もの」と聞いた時点で期待よりも不安が上回ってしまった。
自分の中で新房監督×シャフト作品ってやっぱり初期の独特の省エネ演出のイメージが強いし
その後もひだまりで「富士山」やったり化物語で撫子やらかしたりダンパイアが割を食ったり…
そんなシャフトに、かなり派手になりそうな魔法少女もの、大丈夫!?と大変失礼な事を思ってしまった。
実際フタを開けてみたらまったくの杞憂でした。

このアニメは本当にメインスタッフの個性がこれでもかってくらい出てるのに、
それらが主張しながらも互いに補いあっていて、
誰か一人の作品ではなく、みんなで作ったオリジナル作品になっていた。
それが凄い。

3話から急激に注目され始めて、最初はその盛り上がり方に面食らったんですが、
6話まで観た時点で「なんだこのアニメ面白すぎる…」と
まんまと制作陣の手の平で踊らされてどっぷりハマったわけです。
なんというか、毎週毎週その話数を見るためにどういう準備をしておくか、まで考えて見たアニメはこれが初めてですよ。
具体的に言うと、なるべく色々な感想や考察を読んだり見返したりしてこれまでの話をしゃぶり尽くした状態で次の話に臨むのがいいのか、
それとも余計な情報はなるべく入れないようにして新鮮な気持ちを大切にして次の話に臨むのがいいのか。
「初見」は人生でたった一度しか経験できないから、どうやってその「初見」を向かえるのが一番贅沢なのかを考えながら日々生活していたと言う(笑)。
毎回引きがあって面白いオリジナル作品と言えば、一番最近だとコードギアスかなあと思うんですが、
ギアスでもここまでバカな事はしていなかったなあ。
ギアスの方が超・エンタメ作品なので人に勧めやすいのは断然ギアスですけどね。
心がえぐられるのに面白いっていう感覚は水島監督版の鋼や初期の原作鋼を読んでる時の感覚にやや近いかも。
テーマ的にも擦ってるし。

話がどうとか、アニメーションとしてどうとか、そういう表面的な評価以上に、
自分の好みにドンピシャだったというのが何より大きい。
ぶっちゃけて言えばガールミーツガールな物語には弱い。
女の子の心情に寄った話ではあるけど、虚淵さんの脚本自体は骨太で男臭くて、ねっとりした嫌な感じがまったくない。
そのバランスの良さがとても自分好みでした。
最終的には主人公とヒロインの「世界」が「世界」の命運に直結するという俗に言う「セカイ系」的な物語にはなったけれど、エヴァほど近景に寄ってはいないか。

作品が発表された頃から暖かく見守ってきたので総括。
といっても自分は評論家ではないので好きか嫌いかでしか語れません。

なんというか本当に予想を良い意味で裏切られまくって、
発表された当時はここまでの反響を呼ぶ作品になるとは思いもしてなかったです。
お陰で洗礼というのか案の定いわゆるうるさ型の人たちにいろいろとツッコまれているみたいで、
逆に「注目されるくらい大きな作品に育ったのね…」と
絶望先生の藤吉さん並に偉そうに母の顔になっちゃう勢いです。

感想や批評を色々なところで読んだり聞いたりしましたが、
一番自分にしっくりきたのが小飼弾さんの作品評。
奇跡も、魔法も、あるんだよ - 作品評 - 魔法少女まどか☆マギカ


このアニメの痺れるところは、12話かけて畳み掛けるように「希望」を否定し続けて、
最後の最後に主人公であるまどかが「希望」だけを守りきった事。
「魔法少女は夢と希望を叶える」という、まさに魔法少女が持つ永遠のテーマを守り切った事。
岩上Pがインタビューのたびに「魔法少女」である事へのこだわりを見せていたのはこういうことかと。

「一度魔法少女になったら救われる望みなんてない」というのが時間遡行の中でほむらが導き出した答え。
だからこそ、まどかの契約を阻止する事を一番に考えているし、
他の魔法少女に対しては最初から諦めているところがある。
結果的に、友達を救いたかっただけのはずなのに、
繰り返すごとにまどかとの距離が離れてどんどん袋小路に入ってしまっているというのがなんとも切ない。

ほむらのまどかを救いたいという「願い」そのものによって、まどかに因果が集中し、逆にまどかを最悪の魔女にしてしまうというもうどうしようもないくらいの絶望。
でも、事態を悪化させているだけにしか見えなかったほむらのその願いが、希望が、最終的にまさに希望のための「最後に残った道しるべ」となった。
この11、12話の流れは圧巻で、繰り返し見るほどに心が揺さぶられる。
まどかは万能の神になるのが願いではなく、身近にいた子たちの「願い」や「希望」が「絶望」に塗り変わる事が許せなかっただけ。


もう一つこの作品で好きだったのがさやかと杏子の対の関係。
まどかの救済によって9話が無かった事になってしまったのが逆にちょっと寂しいくらい。
「他人の幸せ」を願いながら結局「自分の幸せ」に囚われて堕ちていったさやか。
「自分の幸せ」だけを考えろと言いながら結局「他人の幸せ」を願わずにはいられない杏子。
9話の魔女戦で、青いさやかのシルエットと赤い杏子のシルエットが混ざり合いそうで混ざらないまま血になるメタモルフォーゼがすんごく良かった。
初見ではその二人がお互いを救ったようにも見えたけど、
実はさやかは杏子を救い、杏子は自分自身を救ったという構図だったのかもしれない。


さらにもう一つ。
虚淵さんのインタビューによると、
まどかはうめてんてーのイメージから生まれたキャラクターで
さやかは虚淵さんの中から生まれたキャラクター。

つまり、9話が終わった時点で「虚淵テイストなエンド」というのはさやかと杏子に集約されているのでは、と思ったわけで。
「理に敵った展開」を積み上げていくとどうしても物語が悪い方向に転がってしまう、
ハッピーエンドへ誘導するには途方もない力が必要だと虚淵さん自身がおっしゃっていて。
うめてんてーから生まれたキャラクター=まどかが、至極合理的に主人公たちをバッドエンドに導く存在=キュゥべえのシステムに打ち勝てるのか、というのが10話以降の注目点でした。
実際はそこまで穿った見方をしていたわけではないんですが、
さやか・杏子とは当然違った結末になるとして、純粋にどうなるんだろうと。
安易なヌルいハッピーエンドにはならないだろうとは思っていましたが、
いやもう、大満足です。


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