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メガミマガジンの虚淵さんのインタビュー記事にて
マミさんの死を『グレンラガン』のカミナに例えているのに違和感をおぼえました。
いや脚本家が言ってるんだから意図としてはその通りなんだろうけども(笑)
個人的には、ナデシコのダイゴウジ・ガイ(山田二郎)が近かったかも。
呆気なさとか、それでいて大きな喪失感とか、その後の物語の中での在り方とか。
(まどかマギカで今後マミさんがどういう存在になっていくのかはまだ分かりませんが)

展開としてはそこまで真新しいものでは無いと思うけど
自分でもびっくりするくらいショッキングだった。
それは何故か?ということを先週はぐるぐると考えていたので
以下自分の気持ちの整理。


第3話までのストーリーを、まどかとマミさんの関係を中心にまとめると、
1話でまどかが魔法少女であるマミさんと出会う。
2話でその力や魅力を知り関係を深める。
3話で憧れの感情を抱いたまどかが魔法少女になる決心をする。
ところが心を通わせた矢先にあっさりマミさんが魔女に食べられてしまった。

正直、死ぬ前のシーンはもうあざといまでに死亡フラグを立てまくっていて、
「ああもう退場なんだな」という覚悟はできてしまった。
それに視聴者の感情を揺さぶるには3話というのは展開が急だし、
共闘しているわけでもないので弱い。
それでもいざその時が来るとテレビに向かって「うわあああああ」って叫んでました(笑)

まず前提として、これは悲しみを誘うための「お涙頂戴」の死ではないということ。
ついでに「死」の描写で安易に視聴者に衝撃を与える事を狙っただけのものでもないということ。
これは主人公と視聴者に「現実」を見せるための死。もっとあっけらかんとただの「事実」かもしれない。
虚淵さんもマミさんの人気は嬉しい誤算だと言ってましたね。

この作品では4話になっても主人公はまだ魔法少女でもなんでもない、ただの中学生。
その変わりに「この作品における魔法少女ってこんなものですよ」を最初に見せてくれたのがマミさん。
マミさんは一度死にかけたところをキュゥべえとの契約によって生き延びて魔法少女になったらしい。回想を見る限りでは。
それってまさに主人公的設定だよなあと。
普通だったら主人公が見せるべき、
序盤での魔法少女の活躍を見せてくれたマミさんが、
あっけなく食べられてしまった。それが現実。

さらに、先輩風を吹かしていたマミさんが自分の気持ちを吐露する場面。
急展開で無理やり感満載にも関わらず少し泣けてしまった。
多分それは私がこの作品を1、2話で疑う事しか出来なかったからだと思う。
伏線が張り巡らされていて謎が多く、
キュゥべえもマミさんも胡散臭くてしょうがなかった。
マミさんは「本当にただの面倒見の良いお姉さん」なのか「実は何かを知っているけれど隠している」のかが分からなかった。
この二人に限らずこの作品の登場人物はみんな疑い出したらキリがない。
それが、ここで初めて主人公以外のモノローグが出て来るわけですよ。
モノローグによって、「ああこれは本当に嘘偽りない本当の感情なんだ」と初めて心から信用することができて安堵させてくれたわけですよ。
なのに息をつく間もなく…

あとは絵としての見せ方そのものの秀逸さ。
直接的にその瞬間を描きながらも、
溶けたリボンやグリーフシードが刺さって割れたティーカップから滴る紅茶で間接的に「血」を見せていてそれが妙に生々しかった。
特に紅茶の使い方は、2話、3話、4話ともうひれ伏すしかない。

スタッフが発表された時点で「血だまりスケッチ」などと揶揄されていたけれど、
(それが視聴者にとって良く映ったか悪く映ったかはさておき)
まさに至極二次元的なキャラクターが虚淵さんの脚本と合わさって化学反応を起こした瞬間だった。
インタビューで言われていたように、
蒼樹うめ先生の絵って二次元でしか成立しない魅力がある。
それをまた、アメリカネズミや村上隆をオマージュしたかのような「超」二次元キャラが食ってしまう。
そりゃあ、ショッキングですよ。
ケレン味溢れるどころかケレンしかない戦闘描写の中に唐突に訪れた死、
その落差に打ちのめされたのかもしれない。

…3話の魔女に関しては、
脱皮前はサンリオキャラクターっぽいし、
脱皮後はアメリカネズミ的でもあるし『イエローサブマリン』にも出て来そうだし
明らかに「どこかで見た事のある造形」だけど
しっくりくる例えが見つからない。


インタビュー記事を読んでいるとこの先の物語の方向性が見え隠れしますが、
もう虚淵さんのお言葉が何も信じられない(笑)
なんなんでしょうねこのアニメは。
視聴者が「魔法少女」を知っている、「シャフト」や「新房昭之」を知っている、「虚淵玄」を知っている、「蒼樹うめ」を知っている事を前提にメタ的に作っているような印象を受けるけど
最後まで見ないとこの第3話は判断しかねます。とにかく最後まで見届けなければ。
まあ理屈じゃなく好きなのでどんな結末であれ買いますが。

ていうかメガミのピンナップ、
ほむらさんの胸にタテ線入れるとか分かってない…
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OVAの感想を書こうと思ったのですが、
書いている途中でTVアニメ化決定のニュースが飛び込んできたので
とりあえず中断。

前回の記事の続きと言いますか、
監督の講義を聞いての雑感をちょろっと書いておきます。
そもそも講義自体だいぶ前のことで、
この記事も前に途中まで書いて放置してたのですが…
後半は講義とほぼ無関係です。

佐藤監督はとにかくまず「ユーザー視点」でものを作る人だと言うのが第一の印象。
意外とここまで徹底しているアニメ監督さんって少ないんじゃないかなと思う。
「もし何の制限も無く好きなものを作れるとしたらどんな作品を作りたいですか?」
という質問に対して、目的やユーザーが明確に設定されている方がむしろ作りやすい、と答えていました。
(それでも、どちらかと言えば劇場版より作ってからすぐに視聴者の反応が返ってくるTVの方が良いとか、もし作るとすると『ストレンジドーン』のような作品かもという事は言ってました、確か)

佐藤監督の作品って「社会現象になる」とか「突発的・爆発的に売れる」というよりは、
「美少女戦士セーラームーン」「おジャ魔女どれみ」「ケロロ軍曹」など
作品がシリーズとして長く続く、という売れ方が多い。
だから監督としての「作家性」というのは普通に見ていても良い意味でほとんど感じられず、
佐藤監督のすごさってなかなか言語化できないものではないかと思う。

講義の中でも、自身の作品の導入部分を系統立てて見せてくださり、
複数の作品でほぼ同じ手法を使っている事に驚かされました。
(例えば第1話の冒頭に「夢オチ」を持ってくるとか)スタンダードな表現を抵抗なく取り入れて、それでいて駄作にならない、「面白い」ものが生まれてくるという。



監督の、アニメ業界そのものに対するお話も興味深かった。
「顧客ありき」になりすぎてアニメ業界がどんどんコアなユーザー向けになりつつあるのも事実だという話。
極端な例えを出すなら、例えばエロ描写を求めて買う固定層がいるから自然にそういう作品が増えてくる、とか。
それはいたしかたない事ではあるけれども、これを全面的に肯定してしまうとアニメーション自体の可能性を狭めてしまう。
あるひとつの方向に濃くすればするほど離れる人もいる。
今は1万本売れればヒットだが、
10年前くらいではOVAなど2万本いけばまあまあと言ってもらえ、
3万本でヒット、4万を目指してほしいという世界だった。
どうにかして打開できないかとみんな試行錯誤しているものの、
方法が見つかっていないというのが現状だと監督はおっしゃっていました。

もちろん社会全体を取り巻く状況そのものも直接的な要因のひとつ。
でも結局「アニメファン」の分母が減っているんですよね。
00年代以降のアニメって、5万売れようと10万売れようとそのコアなアニメユーザーの分母の中での売り上げであって、
「アニメファン」の拡張には繋がっていないのかもしれない。
アニメ同士で「分子」の取り合いをしているだけで。

ある作品に対して「批判したり文句を言うなら見なければいいのに」という人がいるかもしれませんが、
好き嫌いで判別することと、応援することは別なのかもしれません。
確かにアニメが「商品」でしかないなら、気に入らないなら切る、それで良いんだろうけど。
自分にとっては応援したいと思う事と、作品の評価は別にあるかもしれない。
評価出来ないと思っている部分に目を瞑って全てを賞賛するのが「ファン」なら、
やっぱりどんどん狭まっていくだけで。
もちろん極端な「アンチ」はその作品が好きな人にとっては見るのが苦しい部分はありますけど。

これまでは「売れなかったけど、作って良かった作品だね」が通用したけど、
これからは最低限利益を上げるという事がアニメを作る上で、生き残るためには大前提になってくる。
作り手が、「良い作品を作る」事だけに専念するのではなく、それがどうすればたくさんの人に見てもらえるかまで考えなければならない。

自分も畑は違えど、もの作りに携わり、アニメーション以上に「不況」と言われる業界にいるのでいろいろと考えさせられます。
というか私はアニメ業界の現場・現状をこの目で見ているわけではないので
半分はアニメ業界ではなく自分が仕事をしている上で感じている事になってきていますが…。
長い目で間口を広げる体力が無いから、とにかく確実に最低限売れる物を量産する。
その体力すら無い会社はつぶれていく。

うーん、重くなってきたので投げっぱなしで終了。
私も世間からは「オタク向け」で片付けられそうなアニメを買い漁ってる人間だと思うので
別に何かを批判したいわけではないのです。

※TVアニメ化決定を知る前に書いた記事です。


「○○スタッフが贈る」という謳い文句で売る作品はあまり良い印象を持てないのですが、
1巻発売のちょっと前に監督のお話を聞いていたら、さとじゅん作品ファンなら見ておくべきだろうと思い直しまして。
ということで、自分の考察ではなく、監督がおっしゃっていた話のまとめです。
もちろんあくまで私の言葉でまとめているのでニュアンスの違いはあると思うし、誤解を生むかもしれませんが…。


●ARIAが何故作品として成立したのか?何故人気が出たのか?
企画当初は、大きな事件が起こらない、起承転結の「転」が無いような作品を受け入れる土壌が今ほどできていなかった。
その中で監督が『ARIA』のどこに勝算を感じたかと言うと、原作にしっかりした柱が立っているからだと言う。

1. 「主人公が一人前のウンディーネを目指している」というモチベーション・落とし所がはっきり見えている。
強いモチベーションで物語を引っ張って行くわけではないが、必ずそこ行き着くという安心感がある。

2. 「誰が誰を好き」という構造が明確で、しかもそれが蜘蛛の巣のようにあらゆる方向に張り巡らされているため、どこを取っても良い話が作れる。
「この人がここにいることの幸せ」「この人とここに来た事の幸せ」を繰り返し確認できる。

3. アクアの良い意味でリアリティーをそぎ落としたファンタジーな世界観が、現実で見たら「ありえない、きれいすぎる」と感じるところを、街含めてある種の「理想郷」を作っている。
だからARIAは、社会の汚い部分をもっと見たい中学生くらいまでは「こんなの嘘っぱちだ!」と感じてしまうかもしれない。
すでに社会にもまれてきた大人がハマりやすい。
同時に、「きれいで純粋な世界に浸れる自分」がまだいる事の確認ができる。


●「ARIA」と「たまゆら」の違い、「うみものがたり」での反省
原作とアニメがこれ以上無いくらいにきれいに同時に完結し、
天野こずえ先生が新しい作品を描き始めたということで、
こちらも新しいものにチャレンジしようということで作られた「たまゆら」。
たまゆらでは、ARIAが持っていたそのファンタジーな世界を逆にリアルに戻していった。
実際にある竹原という町を舞台に、高校生の女の子たちのあり得る夢の形、あいまいさを含めて描いた。

「ARIAからファンタジーを引いた分、何を足したのですか?」
という質問に対して、
「懐かしさ」だと答えていました。
そこに行った事がなくても感じられる竹原が持っている懐かしさ、
将来に対してふわふわゆらゆらしていたあの頃、
お父さんにおぶってもらった時に見える景色…
「懐かしさ」には色々な意味が含まれているのだと思います。

それと、お話を聞いていると「うみものがたり」での反省も生かして作られているようです。
時代と共に観客の器の形も変わって行くので、常に演出も変わっていかなければならない。
昔はテンポが良いと思った物も、今見るとだるく感じる事もある。
そういったお客さんの感覚の変化というのは、
実際にやってみて反応を聞いてからでしか分からない事。
特に分かるのが、第1話放送後に出て来る「面白くない」という評価の内容。
「うみものがたり」で監督が感じたのは、「ひねったものが受け止めてもらえない」ということだと言う。
例えば、派手なアクションシーンにピアノのメロディーを乗せたりする事がある種の定番のようにかっこいいものであると思っていたのに、うみものがたりで近い事をやったら単純に「合っていない」という印象になってしまった。
もちろんそういった演出が合う合わないは作品によるかもしれないし、肯定する人もいたが、ほとんどの人には「間違って」見えた。
またハイターゲットの作品の場合は、主人公のモチベーションを最初はぼやかすことで、逆に創造力をかき立てて牽引力になるというのが監督の体験としてはあったが、それが今回は効果を持たず「何がはじまったか分からずのめり込めない」ということになってしまった。
「ARIA」でもついてくれてきたファンだけではなく、離れていった人もたくさんいたはずだけれど、やっている最中はそれが見えない。
新しいものを作った時に一気にそのブラックボックスが開いてびっくりする。
そういうこともあって「たまゆら」では一番最初に主人公が写真が好きという事をはっきり示しているそうです。
方言に関しても、大阪弁や東北弁など許容できるものもあるが聞き慣れないものになるといきなり視聴者のハードルが上がるという経験から「たまゆら」では広島弁を喋るのが松来さんだけに。

…方言は、初見では逆に「なぜ一人だけ方言?」と思わなくもなかったです。
ちなみに「かみちゅ!」は尾道尾道と言われてますが、実は作中では具体的な地名はぼやかされています。
場所を特定しないことで方言を使わなくて済むように、という配慮らしいです。
もうちょっと最近だと「マイマイ新子と千年の魔法」ではまったく方言が気になりませんでした。
もう一人の主人公である貴伊子は東京からの転校生で標準語だったので、
むしろ新子と貴伊子が違う言葉遣いで会話をして仲良くなっていく様にほっこりさせられました。
あれは方言以外ありえないと思えます。
(でもやっぱりそのせいでハードルが上がったのは事実かもしれません)
たまゆらは、そこまで方言に強いこだわり(あえて排除する、とことんリアルに入れる、等)を見せる必要の無い作品だと思うので、広島弁の雰囲気も入れつつほとんどみんな標準語、というのが丁度良かったって事でしょうか。
作品に合っていれば何でも良いと個人的には思います。



そんなわけで具体的な感想は次の記事に続く。


追記:
私は「うみものがたり」も好きだったので「そういう見方があるのかあ~」と思って聞いてました。
記事を読み返したらちょっと「うみものがたり」を否定しているみたいになってしまったので一応書いておきます。
(あ、もちろん監督も否定的な言い回しはしてませんでした)



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2話でも変身しないだと…!
というのが初見の感想の説明回。
ある程度「こうなるのかな」という予想がいくつかできるものの
どこで外れていくかいつ裏切られるか分からず予断を許さない緊張感が。

魔法少女もので「魔法少女になるきっかけ」って
「ひょんな事から」とか「やむにやまれず」とか「元々選ばれた人間だった」とか
お約束として流せる程度のものが多い。
魔法少女になったその先が重要だから。
まどかマギカで主人公に明確な「魔法少女になる動機」を与えようとしているというのは、
魔法少女ものの違った側面を見せてくれて面白くはあるけれど
地に足が着く分ハードルが上がっているような。

それから「願いをひとつ叶えるかわりに、命をかけて魔女と戦う使命が課される」という魔法少女の契約システム。
普通のボランティア的な魔法少女ものとは違い、料金先払い制の契約を結ぶという。
命を落とすリスクを負ってまで叶えたい願いは自分にあるのかと自問する主人公たちは、やや白々しい演出ではあるものの今後どんな決断を下していくのか、単純に続きが気になる。(だからハードル上がってるんだけど)

一応マミ先輩とキュゥべえが体験入学セットの魔法少女説明会を開いてくれたけれど、
肝心なところはぼやかされていてそこを主人公も質問はしない。

魔法少女の契約の疑問点
・「どんな願いでも叶えられる」って本当に?どこまで制限が無いものなのか?
・キュゥべえと契約した魔法少女が他にもいるらしいけど一体どこに?
・「魔法少女業」には終わりがあるのか?
・ソウルジェムが濁りきるとどうなるのか?また、魔法の使用以外でも濁るのか?
・「願いと引き換えに出来上がるのがソウルジェム」と言っていたが、願いはどのタイミングで叶うのか?
(マミ先輩やほむらさんはすでに願いが叶った状態なのか?)
・そもそも何でも願いを叶えられる能力を持ったキュゥべえは何者で目的は何なのか?

一生魔法少女として命をかけなければならないとすればそれはもうほとんど「呪い」。
魔法「少女」なんだからやっぱり年齢制限があるのだろうか。
つい先日手塚治虫の「ネオファウスト」を読み返した身としては、願いを叶えた先に絶対服従が待っている悪魔の契約としか。あるいは同じ手塚治虫で言うなら「百物語」とか。
ソウルジェム(魂の宝石)という名前からしても、「願い」と引き換えに「魂」を売る契約という感じがしないでもない。
(まどかマギカを見た友人が「内容は子供向けっぽいね」と言っていて、それに対して激しく違和感を感じたのは脚本家云々はさておき特にこのあたりの設定から)

あとソウルジェムの濁りをグリーフシードに吸収させているような描写や、グリーフシードとソウルジェムの形状が似ているのも気になるところ。
グリーフシードというのが、単にモンスターが戦闘後に落とすポーションやエーテル的な物と考えればいいのか、
それとももっと重要な意味を持つものなのか。
マミ先輩たちの言葉を信じるなら、グリーフシードは魔法少女間で競争が起きるほどみんなが欲しているもの。
魔法少女がグリーフシード(≒魔女退治)なしでは成立し得ない存在なのだとしたら、なんとも不毛なサイクルというか。

疑問点や伏線は今後回収されていくだろうと勝手に期待しつつ、
とにかく2話もマミ先輩のバトルシーンに痺れました。
お辞儀して少し持ち上げたスカートからマスケット銃がふわっと出てくるとか、
大量に銃出して使い捨てとか、
男のロマンに満ちている!
極めつけは「戦闘後ティータイム」、格ゲーとかRPGの勝利後の決めポーズみたいでツボ。
これも脚本には無かったらしい。
Togetter - 虚淵玄氏『ちょっww聞いてねぇっスよ演出さん!!』コーナー

虚淵さんによると必殺技が収録現場で英語からイタリア語に変更されたとのこと。
わりとドイツ語な世界なのかなと思っていたのですがなぜイタリア語?
ほにゃららフィナーレ!って言ってますね。

公式サイトの説明では魔女の使いのヒゲおじさんの役割は「造園」らしい。
どうやら魔女も薔薇の魔女らしい。
今後出てくる魔女はまた別のモチーフになるのか、その辺も見所のひとつかも。
魔女が落とすグリーフシードのデザインがみんな一緒なのかどうかも含め。
どことなくイヌカレーさんの空間が童話っぽくもある。
シュバンクマイエルの『アリス』みたいな、グロテスクになるギリギリの。


その他今回分かった事、気になった事
・さやかの「幸せバカ」のくだりで病院で寝ている白髪の人のカットが入ったことから、おそらく入院しているのは「かみじょう君」で、1話ではさやかはかみじょう君のお見舞いにCDを買いに行っていた模様。
OPから予想するとバイオリニストを目指している?

・「病院とかに取り憑かれると最悪」
かみじょう君(仮)逃げてーーー!!
公式のさやかのサンプルボイスに「ねぇ、マミさん……願い事って、自分のための事柄でなきゃ駄目なのかな?」とあるので、彼絡みで魔法少女の契約を結ぶ可能性は高いかも。
逆にまどかは「ただ、なりたいってだけじゃ、駄目なのかな……」と。

・「意外だなあ。大抵の子は二つ返事なんだけど」
この作品自体、一見テンプレなバトル系魔法少女ものの体裁を踏襲した上で違った物を作ろうとしているように感じるので、穿った見方をすればメタ的にも取れる…
マミ以外の「二つ返事だった人たち」はどこに?ほむらは誰と契約を?(キュゥべえと同種のマスコットキャラが他にもいるのか…)

・「願いから生まれるのが魔法少女、呪いから生まれるのが魔女」
まどかがまどか母に「どんな願いでも叶えられるとしたら?」と聞いたら「役員を二人ばかりよそに飛ばす」と答えた。
これでは「願い」ではなく「呪い」に近い。
「願い」と「呪い」は紙一重で、すぐに反転するもの。



やんわり気になったところ

・マミさん一人暮らしなのにだだっ広い部屋、「おもてなしの準備はない」と言いつつケーキ常備
これまでのシャフト作品ならまっっったく気にならないけど今回は全てを疑ってしまうのは何故なの。
ここでの紅茶がまさか戦闘後のティータイムに繋がるとは。

・完全にさやかの存在無視なほむらさん
「そいつ(キュゥべえ)が鹿目まどかに接触する前に」とか、一応さやかも魔法少女候補なのに眼中にない様子。
ていうかキュゥべえも最初はまどかだけに助けを求めてたし、
なぜかまどか宅に宿泊してるし…
関係ないけど冒頭の、ぬいぐるみの中にとけ込んでいるキュゥべえさん怖いです。

・マミ&キュゥべえはほむらとは面識が無いらしい
それでもほむらは色々と先の展開を予測できていたようで。
まどかが魔法少女になる事を阻止しようとしていたものの全ては語ろうとせず、
キュゥべえとまどかの接触後は必死さも感じられず(どうやらもう手遅れという事らしいが)
それでも一応まどか達の動向は追っているという。
ほむらの目的がまったく謎。
ループものだとか未来をすでに見てきているとか予知能力があるとかタイムリープできる未来人だとかパラレルワールドから来てるとか、
とにかく他の人とは異なる設定がある事は確かか。



てな感じで、3話の前に頭を整理させるために思った事をつらつらと書きましたが多分だいたい見当違いなので今後が楽しみです。


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↑このジャケット絵みたいな展開がこの先待っているなら全力で応援します。
ジャケット詐欺だったらその時は……
次回エンディングアニメーション見れるかなー。



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新房監督×シャフトの初のオリジナル作品、それも魔法少女もの。
否が応でもなのはと比較してしまいそうな本作、
ハードルは上げまくって期待はしないという嫌な視聴者として臨みました。

新房監督の作品は化学反応が起きるととんでもなく面白いものが飛び出してくるものの、
そうでない時は意外に印象があっさりしてしまうような。
第1話、初見の感想は「思ったより面白かった」でしたが
どうも引っかかるところがあって2度目見返したら
梶浦由記さんの音楽の力もあり、久しぶりにドハマりしました。
個人的には、第1話で主人公の変身シーンが無いのは魔法少女ものとしてガッカリだったのですが、
「変身が無い」こと自体が次回への「ひき」の一つになっていたかも。


アバンは定番の夢オチから。
足元が歯車になっている逆さに浮かんだ魔女?の後ろに9が並んだような魔法陣。
一人で戦うほむら。
攻撃を受けて倒れながらもまどかの方を見て何かを叫ぶ。

「こんな結末を変えられるの?」
ループものの伏線に取れる要素が結構あるけど(まどかも「円」だし)、ミスリードかもしれない。
「もちろんさ。だから僕と契約して魔法少女になってよ」
キュゥべえが怖すぎる。表情変わらないし口すら動かないし…


夢オチからのオープニング。
こんなに主人公が泣きっぱなしの魔法少女のオープニング初めて見たよ!
・冒頭の背中を向けて一人でぽつんと立って涙を流すまどか
・NG集みたいなコメディタッチのカットを重ねながら、画面の傍で段階的に泣いていくまどか(表情はデフォルメ気味)
・最後、黒猫を抱いて泣き笑いをうかべるまどか



サビの直前に出てくる短いカットの連続は、
・家族集合
・ケーキを食べるまどか・さやか・仁美
・運動会中っぽいまどか・さやか・仁美・先生
・さやかとヴァイオリンを持った少年(かみじょう君?)
・添い寝するマミとキュゥべえ
・空になったチューペットらしき物をくわえる赤髪黒リボンの女性
・真俯瞰で傘を持って空を見上げるほむら
少なくとも1話に出てないキャラがあと2人はいるわけか。

空を見上げるほむらの真上からのカットと、雨の中走り出すまどかの真下からのカットが繋がってる。

サビ、雨の中必死に走るまどか。
サビで戦闘シーン的なものが出てくるかと思ったけどあくまで本編のお楽しみかー。
色使いや演出はポップだけど、あくまでも「雨」と「涙」でイメージが統一されてる。

まどかが目を開けると猫のシルエットが浮かび、
黒猫を抱いて寝転びながら雨の止んだ空を見上げて泣き笑いを浮かべる。
空から落ちて来る雨のしずくとまどかの涙がシンクロしていてすごく良い。

最後、まどか・さやか・マミは三人での笑顔のカットがあるけど、ほむらもあくまで一人。
でも最後の三人のカットでさやかがまた黒猫抱いてる。
ほむら=黒猫説も一応可能性の一つに入れておこう…
ただの新マスコットキャラもしくは真マスコットキャラかもしれないけど…

本編ざっくり感想。
人の動作の繋がりではなくあくまでテンポ重視でカットを繋げていく感じがいかにも新房作品。
現代日本が舞台でもなんとなく異世界にでも連れて行かれたような感覚にとらわれる事が多い新房作品ですが、今回は近未来な舞台にも関わらずいつもより地に足がついている感じがする。
モブや日常芝居の扱い方の違いなのか。
こんなにしっかりキャラクターに日常芝居させているシャフト作品、ほとんど見た事ないかもしれない。
まどかが座ってパンを食べ始めた直後に「行ってきまーす!」とパンをくわえて家を出てたり、なんか地味に気になる点はいくつかあったけど。

これまで新房×シャフト作品では散々意味もなく背景にネタを仕込んできているので、
背景で描かれているものや不自然に感じたカット等が単なる遊びなのか伏線なのかが分からない。それが面白い。

転校生なのにクラスの保険委員を把握した上で「連れてってもらえる?保健室」と言いつつまどかの前を歩く、完全に保健室の場所まで知り尽くしたほむらさん。

「暁美さん?」
「…ほむらでいいわ」
「ほむらちゃん…」
「何かしら」
「その…変わった名前だよね」
このあたりで悔しそうに歯を食いしばるほむら。
ループものとは限らないけどすでに学校に来たことも、まどかに会ったこともあるってことですか。
とりあえずほむらさんは1話を見る限りだとまどかが大事でしょうがない風に見えます。

「あなたは鹿目まどかのままでいればいい」
このセリフも深読みしようと思えばできなくもない。
「今のままいればいい」とただ言うのではなくあえて「鹿目まどか」のまま、と言うあたり。


それにしても、ほむらがまどかに詰め寄っていたとは言え、
事情も聞かずにいきなりクラスメイトに消火器ぶっかけて投げつけるとか、
さやか、やりよる……

異空間設計は劇団イヌカレー!!
これ、今後異空間のシーンが増えて行くとしたらイヌカレーさん死んでしまうのでは。
「変だよここ…どんどん道が変わって行く…」
道が変わるってレベルじゃないから!
うめてんてーの可愛らしいキャラクター原案にイヌカレーさんの不気味でキッチュな画面構成。
ミスマッチが奇妙にマッチしている。
自分たちが作りたい絵のために、あえて他の人の手に委ねることで起きる化学反応。

Togetter - シナリオ担当虚淵玄氏、「血溜まりスケッチ」第一話を語る
マミの武器は「マジカルマスケット銃」だったのか。
マジカルなのに、「いやマスケットはあくまで単発だから銃増やすよ!」という硬派なこだわり。
あの一連のシーンは鳥肌だったので、他のキャラクターの攻撃シーンが楽しみ。
大量の銃での攻撃シーンは「少女革命ウテナ」的ですね。
おそらくイメージを拝借しているのではないかと思いますが。

「今回はあなたに譲ってあげる」というマミさんの言葉から、
魔女狩りを競っているのでしょうか。
そんなことより何よりキュゥべえやまどかに用がある様子のほむら。
最後立ち去る直前の、後ろを向く瞬間の何とも言えない表情がたまらんですわ。

「助けて」と呼び出したのはまどかだけなのに、
いつの間にさやかも魔法少女候補に?
主人公とほぼ同じ立ち位置の友達まで魔法少女になるとか、
とりあえずさやかには悪いフラグが立ちまくっている…
むしろフラグが無かったら空気キャラになりかねないし…



物語の導入としてはありきたりで魔法少女的ではある。
あらすじだけ取り出したらそれこそ「なのは」の第1話とほとんど変わらないくらい。
(キュゥべえが怖いのは、止むを得ない事情で主人公を魔法少女にするのではなく、最初は「助けて」と言ってたくせになぜか次の瞬間には「君たちを魔法少女にするために呼び出した」的な発言にすり替わっているあたり)

これまで散々やられてきた魔法少女ものの展開を踏襲しつつも、
あのスタッフ陣でできること、深夜アニメとしてできることに挑んでいる点に、
ワクワクせざるを得ない。
あと1話の絵コンテが芦野芳晴さんだったのもちょっと驚き。
アクションディレクターに阿部望さんと神谷智大さんを置いていたり、
ガチで魔法少女ものをやる意気込みを感じる。
ノーモア富士山、頑張れシャフト!!!

TVアニメーションって常にエンターテイメント性と効率性との攻防で成り立っていると思う。
そういう中で、それを逆手に取るような奇抜な演出で見せてきたのが新房作品であり、
異常なこだわりを貫いてエンターテイメントに昇華したのが「化物語」なのかなぁと。
まどかマギカはまたさらに違う方向にTVアニメの可能性を見せてくれる作品になれるかもしれない。
…と、1話の時点では思ってしまいました。

これで2話以降擁護のしようがない展開だったら悲しいなあ。
どう転んでも好みな作品ではあるのでBD買う価値はあるけど。
とりあえず4人の友情関係もしくは人間関係を、
どれだけ(私の心を掴む感じに)描いてくれるか…


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